ディズニーのアナスタシアみたいに強く明るく生きたい
昨日の今日でアナスタシアや物語中の好きな登場人物のことを書きますね。
私が落ち込んだり「もうダメだ…」って絶望に打ちひしがれたときに
物語に出てくるヒロインのことを思い出します。
私は、自分がけっこう打たれ弱かったり迷いの多い人間なので
強ーーい女の子、女の人に憧れている。
最近は、アナスタシア。
これはまだ小さいころみたディズニーの映画だったから
実はあまり話を詳細には覚えていないのだけど
音楽(Once upon a December)が好きで聞いてて
断片的に話を思い出した。
アナスタシアのこと知っている人も多いと思うけど、
ディズニーはアナスタシアが実は生き残っていて
記憶を失っているけど一人強く生きている姿を描いている。
途中で、たしか革命のとき自分を逃がしてくれた人と出会うけど
それまでずっとたくましく生きてきたし
ヒールのラスプーチンと最後対決しおばあ様と再会しハッピーエンド。
音楽聴いていると、アナスタシアが一人で
しかも家族もいなければ記憶もなくした状態で
(だって、家族や友達がいなくて独りになったとき
自分を支えてくれるものって思い出じゃないかと思うの。
自分の楽しい思い出で、今が辛くても生きていけるのに
それさえもないって!って思ってしまう)
そんな境遇で明るく生きていける人ってほとんどいないよ、と考える。
でも、アナスタシアは明るく強く生きている。
ひねくれたり暗くなることなく、まっすぐ生きているの
とってもすごいなぁって憧れてしまう。
心がねじれたりしていないのがすごい。
自分の過去、今までの境遇を嘆いたり
どうしようもない”今”にどんな人も多少影響を受け
心にゆがみが生じてしまうのって
それはその人が悪いとか私は思わない。仕方がないって思う。
それが普通なんだって思う。だから責められるべきじゃないのだけど。
だからこそ、それを乗り越えられる人って本当にすごい。
私、もう女の子っていう年齢じゃないのに、すぐわんわん泣いてしまう。
あっ!人前では絶対泣かないけど。
1人で1人の家に帰ってきて
夜色々考えてわーーって泣いてしまう;;
本当につらくて大変な状況の人たちはいっぱいいて
私なんて恵まれているほうだと平常時は思うのだけど
そのときは本当に悲しくて悲しくて
あとになってそんな人たちに申し訳ないってはっとする。
この程度でわんわん泣いて、なんて自分のことばかり考えている人間なんだと。
これって、私の心がふにゃふにゃだからなんだよね。
だから、アナスタシアみたいに強くなりたいな~°˖✧
って落ち込んだとき音楽聴きながら思う…(子どもですね>_<)
あ!でもだからって、ずぶとく無神経になりたいわけじゃなくて、
なんていうか…心がささくれて傷だらけにならないように
自分の心の柔らかい部分を守れるようになりたいというか…
柔らかい部分って弱い部分っていうよりも
感受性が強い部分。。
うーん、だから、心が強くなりたいんじゃなくて
自分自身の防御力と意思を強くしたいのかな???
書いていると頭が整理されていいな~♡
10月後半から情緒が不安定なかんじが続いていたけど
日記やブログ書き始めて前向きになれた気がする。
たぶん、社外の人に嫌な態度取られてもそこまで落ちなかったの
いろいろブログに書いたからだと思うの!!!
だから、ブログ再開してよかった~~って思う。
って、また書きすぎた💦
わー!アナスタシア以外にも書きたかったけど、ま、いっか。
今日はここでおしまい!!
ちゃんとその人を見るということ
今日。
職場でとてもショックなことがあったのだけど、
何か言うべきだったのかもしれないけど
ショックすぎて言葉にならず、特に何も言わずにいた。
そしたら、隣に座っていた子が、
私の分まで、というか私の気持ちを代弁してくれたというか
すーーごく怒ってくれて
なんだかそれだけで胸がいっぱいになりました。
とてもありがたかったし、嬉しかった~
本当はショックで心はぐしゃぐしゃにすさんでいたのだけど
その子が怒ってくれたから心が柔らかくなって、救われた。
でも、「いいことをしたい」とか「いい人でありたい」
(人によく思われたいとかそういうことじゃなくて、
自分がどういうふうに生きたいとかの問題)
と思って言葉を使い・行動して生きてきたけど、
それがその人にとって”当たりまえ”になって
「あの人ならしてくれるし、これもやってもらお~」
みたいに軽んじられるのって、本当につらい。。
心とか自分の存在が踏みつけられたみたいにかんじた。
大げさかもしれないけど、
きちんと人格を持った”人”として見られていない、みたいな。
そんななか、さっき話した隣にいた子は、
自分自身のことのように怒ってくれて
悲しんでいる私の気持ちを軽くし暗闇から助けてくれた。
せっかく”優しさ”を使うのなら、そういう人に使おうって思いました。
ちゃんと、1人の人格を持った”人”として”見てくれるひと。
そして、自分もそういうふうに
人の気持ちに寄り添って生きていけて
誰にだって”気持ち”・”心”があるんだって
1人1人に向き合える人になりたいなーって思ったのでした。
はぁ。。
また明日、その嫌なこと言う人に会わないとだー><
対策を練らないと。このままではいけないもんね。。
時間泥棒に時間をとられないように
メールに「記事を書いてから1か月たちました」という通知が来て
「あぁもうそんなにたつんだな~」って。。
でも何を書こうかなって。で、少し放置していました。
そういえば、ツイッターのこと
私はぜんぜんつぶやかずに見るの一点張りなんですが
ふ…とつぶやいてみたら意外と様々な年齢層の方たちがいることがわかり!
感動してしまってつぶやきはしなくても、コメントはするようになりました。
そうすると、もともと趣味のツイッターなので
それ関連の話ができるととっても楽しくなり以前より能動的にツイッターするようになりました!^^わー。
でも目と首と時間が…><(スマホでしているから)
目と耳と時間の問題を解決すには
ツイッター以外で無意識にいじっているスマホの時間を減らすこと。
ツイッターは意識的にしてるからこれにどのくらい時間使ったって分かってるけど
私の場合おそらくそれ以外のことに徒然なるままに時間を浪費し
(それは無意識スマホの時間だけじゃなくて
何か他のことをしている余白の時間もあるんでしょう)
「あっ!!」という間に時間がなくなり
「え?もう0時すぎた?」っていうことが多々あるというか毎日なので
時間のやりくりを考え&きちんと実行しなくちゃいけないですね…
学生のころはきちきち女で勉強しながら筋トレしたり
朝は音楽流してこのアルバムのどの曲までに何々を終わらせる!
夜は10時就寝!!っていうかんじで行動していたのになぜ…
そして目標を持って毎日それに向かい勉強して
優先順位が低いことをどんどん削除していました。。
むかーしの自分は、ミヒャエル・エンデの「モモ」っていう本に出てくる
”時間泥棒”っていう存在が好き、というかかなり強い関心を持っていて
時間泥棒に自分の時間を盗られてそれを葉巻にされて吸われないように!って
意識的&能動的に自分の時間を使っていました。
(だらだらしている無意識の時間;あっという間に無くなる時間は
時間泥棒にとられている時間なのです!!><)
それが今はなに??
若い自分を見習うなんてときがくるなんて…ってかんじですね。
きっとそれに気づけた今が変わり時の正念場ってことですよね。
頑張らなくてはです。